軍艦島クルーズ船

当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

世界遺産

軍艦島上陸クルーズは見どころいっぱい 船酔い知らずのオススメ席を現地レポ

更新日:

 

2015年に世界遺産に登録された軍艦島ですが、上陸ツアーは密かなブームで登録される6年前から始まっていたのは知ってましたか?

無人島に上陸する、時間が止まった廃墟を見ることができるマニアックで魅力的なツアーは、世界遺産に登録されてから長崎観光の人気ツアーになっているのです。

現在、軍艦島ツアーは長崎市から許可された5社が運航を行なっており、1人だいたい4,000円くらいするので決して安いツアーではありません。

はたしてコスパ的にはどうなんでしょうか? 満足できるのなら行ってみたいと思っている人も多いはず。

そういうはなはなも「廃墟マニア」ではありませんが軍艦島の魅力を体感しに行ってきました。

この記事では、軍艦島ツアーの見どころは軍艦島だけじゃないという事を前置きに、軍艦島の見どころ・所要時間・ベストシート・船酔い情報を現地レポしています。

世界遺産になったから行ってみようかな? と少し迷っている人の参考になれば幸いです。

 

スポンサーリンク

 

軍艦島(端島)とは?

軍艦島 (Battleship Island) 2008
軍艦島 (Battleship Island) 2008 / kntrty

長崎港から南西に約18km、野母(のも)半島から約4.5kmの沖合の位置にあり、明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えた端島(はしま)。

端島はもともと外海に浮かぶ岩礁でしたが、1893年(明治26年)から1931年(昭和6年)まで6回の拡張工事により現在の姿になりました。

南北に約480m・東西に約160m・周囲約1,200m・面積約65,000㎥、それでも東京ドームの1.4倍という小さな島。

岸壁で島全体を囲んだ姿が軍艦「土佐」に似ていると言われ、大正時代から「軍艦島」と呼ばれるようになっていました。

 

出典元:軍艦島パンフレット

江戸末期、島の海底に石炭が埋蔵されていることがわかり、採掘が始まったのは明治になってからで鉱床は近隣にある高島の高島炭鉱と同じ。

1890年(明治23年)高島炭鉱で成功した三菱が買収し地下深く発掘する開発が始まります。

1897年(明治30年)には高島炭鉱を抜き日本一の産出量となり、石炭は北九州市の八幡製鉄所に運ばれ日本の近代化・経済発展に大きく貢献しました。

1916年(大正5年)には日本初の鉄筋コンクリート造の7階建て集合住宅の建設、以降高層アパート・小中学校が次々に建てられた国策の島は近未来都市へと発展していきました。

1950年(昭和25年)当時の生活は全国のテレビ普及率が10%に対し、軍艦島の「テレビ・冷蔵庫・洗濯機」三種の神器の普及率は100%近くあり裕福な暮らしぶりがうかがえます。

その反面、地下1,000mを超える採掘場では気温30度以上・湿度95%の作業環境で、1日12時間労働の2交代制という過酷なものでした。

1960年(昭和35年)の最盛期には、5,300人の島民が生活し東京23区の10倍という当時世界一の人口密度をかかえるまで成長します。

しかし1962年(昭和37年)10月の「原油の輸入自由化」をきっかけにエネルギーの主役は石炭から石油へと移り軍艦島も次第に衰退していくことになります。

1974年(昭和49年)1月15日、85年の歴史に幕を下ろし閉山。

その後は当時の賑わいがウソのように静まり返った無人島・廃墟へと変わっていきました。

島は三菱マテリアルが所有していましたが、2001年(平成13年)高島町に無償譲渡され、2005年(平成17年)高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承されています。

時代が平成になり軍艦島にスポットが当たりだします。

長崎市条例により島の南部に整備された見学通路に限り2009年(平成21年)より許可業者による上陸ツアーが開始されるのです。

2015年(平成27年)、明治期に作られた端島炭鉱(岸壁と海底坑道)のみが、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として登録されました。

日本一広い廃墟と化した島には『007 スカイフォール』『進撃の巨人』などの映画のロケも行われ、皮肉にも日本一人気のある廃墟となりました。

今日も上陸ツアーの船が1日2往復して観光客を運んでいますが、長崎市は「日々朽ち果てていく世界遺産をどう守っていくのか?」という新たな問題に直面しているのです。

 

スポンサーリンク

 

軍艦島のアクセス

閉山後は長崎港から遊覧船が運航されていますが、それに加え2009年からは許可業者の上陸ツアーが開始されています。

端島にはヘリポートもなく橋もかかってないため、上陸方法は船舶のみでドルフィン桟橋からになります。

軍艦島上陸規定

「長崎市条例によるドルフィン桟橋が利用できない規定」

風速が秒速5メートル超、波高が0.5メートル超、視程が500メートル以下のいずれかに該当する場合には、ドルフィン桟橋が利用できません。

また上記範囲内においても、見学者が安全に下船できないと船長が判断するときはドルフィン桟橋を利用できません。

上陸できるのは年間100日程度と言われています。

見学エリアは一部に限られるものの現在5社が軍艦島上陸ツアーを運航していますので、各社の特色をまとめた別記事を参考にして下さい。

関連記事 「【2022年版】軍艦島上陸クルーズ5社徹底比較 重要なのは〇〇だった!!

 

 

軍艦島ツアーの駐車場情報

軍艦島クルーズを行なっている5社はどこも駐車場がありませんので各自駐車場に停めてから集合になります。

クルーズの所要時間は乗船手続きから乗船・下船まで3~4時間は欲しいので、長時間停めても安い駐車場選びが必須です。

関連記事 「大浦天主堂・グラバー園周辺駐車場10選 軍艦島上陸クルーズ利用者も必見!

 

※情報(駐車時間・料金)が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず現地の表記をご確認ください。

 

スポンサーリンク

 

軍艦島上陸クルーズ乗船の流れ

軍艦島デジタルミュージアムで乗船受付

本日は「軍艦島コンシェルジュ」さんにお世話になります。

なぜ軍艦島コンシェルジュさんを選んだかというと、「軍艦島デジタルミュージアム」の入場料が1,800円⇒900円の半額になるからですw。

 

近くの激安30分50円の「松ケ枝ターミナル駐車場」に停めて徒歩5分、軍艦島デジタルミュージアム1階で乗船受付。

もちろん優先乗船チケットの予約をしておいたので受付はスムーズ、承諾書に住所・名前を書いて簡単に乗船場所・時間の説明を受けます。

優先乗船というのは一般チケットの人より先に乗船させてもらえるというものですが、優先乗船の人の中でも受付順に乗船できるシステムです。

優先乗船チケットの人でも少しでもいい席に乗りたい人は9時のオープンに受付しましょう。

デジタルミュージアム館内をざっと45分ほど見学して乗船場所の常磐ターミナルへ向かいます。

ちなみに当日なら乗船後でも再入場可能なので乗船時間ギリギリなら後からゆっくり見学することをオススメします。

館内の様子は別記事で・・・Coming Soon

 

常磐ターミナルへは約230m、横断歩道を渡って海沿いに歩くだけ。

 

水色の常磐桟橋が乗船場所です。

常磐ターミナルの軍艦島コンシェルジュ事務所前には、乗船者が集まってました。

 

乗船時間までは桟橋前で待機。

 

常磐ターミナルでも乗船受付ができます。

デジタルミュージアムを見学しない人はここで受付しましょう。

 

平日なのでじゃっかん空いているようで、当日空席があれば即乗ることもできますので現地で思い立ったらお問い合わせをどうぞ。

今では当たり前になった検温・消毒・マスク必須などのコロナ対策も行われておりその辺りはしっかりしています。

 

事務所内は「ガンショーくん」セール中w。

夏場は日陰のない軍艦島は地獄で、現地は自販機もありません。

熱中症対策で水分を必ず持っていきましょう。

 

ジュピターへ乗船

10:30出発の午前便の乗船が始まりガイド・スタッフさんが慌ただしく動き始めます。

 

揺れにくい船

定員200人の船ってどれくらいの大きさ?と思っていましたが、近くで見るとけっこう大きいジュピター。

「ジャイロスタビライザー」という揺れる船体を安定させる装置がついており、ホームページによると70%の揺れを抑えてくれるそうだ。

これも軍艦島コンシェルジュさんを選んだ一つの要因ですが、2F席でまったく船酔いしなかったのでこれは正解でした。

ちなみに1F席、ボトムフロア、2F席の順に揺れが少ないそうです。

船酔いが心配な人は1F席の真ん中が一番揺れが少ないということになります。

 

船の座席MAP

ジュピターは3層構造で2F客室席はプレミアムシート。

乗船料が通常の倍しますが室内は座席・照明が高級っぽい感じになっていました。

リッチなクルーズを楽しみたい人はここですね。

1F・2Fの外デッキはオープンでありながら屋根が付いているので夏場は嬉しい。

窓が無いので写真・動画撮影ならここがベストです。

海風がまともに当たり水しぶきがかかることもありますが、天気の良い日の爽快感は抜群。

1Fの客室席はガイドさんがモニターでなく直接見える。

ただし外デッキ席でも音声はしっかり聞こえ、モニターからガイドさんも見えるので特に問題ありません。

ボトムフロアはジュピターの写真を見てもらえばわかるように、丸い小さな窓があるだけなので写真撮影・景色を楽しみたい人には向きません。

波が穏やかであれば前方のデッキへ出ることも出来ますし、上陸時最初に下船させえてもらえます。

トイレはなんと5ヶ所もあるので安心ですね。

 

ベストシートは2F右舷デッキ席

モニターからガイドさんの自己紹介があり、救命胴衣の着用方法のVTRが日本語と英語で流れてますが周りの景色に夢中。

ガイドさんによると今まで一度も出したことが無いそうですが、万が一の為に救命胴衣の場所は忘れず聞いておきましょうね。

続いて船長の挨拶があり、海上の波の高さ1.5mで航行中に波の影響で急にかじを切ったり大きく揺れる事もあるそうだ。

長崎港はこんなに穏やかなのに外海は違うのね。

2Fの外デッキは見晴らしがいいのでどの席でも景色を一望できますが、右側の方がドッグや島がたくさん見えて尚いいです。

また軍艦島へは進行方向右側から近づいていくので右側がベストシートでしょう。

右側が確保できなかった場合は左側でもいいのですがすぐ移動できるように端の席にしましょう。

 

出港~天気良ければ全て良し

桟橋に繋がれたロープが外されゆらゆらと漂ったと思ったら汽笛が短く3回鳴ります。

船舶免許を持ってる人なら知っていると思いますが、これは後進の合図です。

 

絵になる長崎港

長崎港は毎年200隻以上の豪華客船が入港し、この松ケ根国際ターミナル埠頭に接岸します。

今年はコロナの影響で1月以降一隻も入港しない状況が続いており観光への打撃も大きなものになっています。

 

中央は長崎県庁舎、右端は長崎港ターミナルビル。

海から見ると坂の街長崎は、風情が神戸に似ているな~と思う。

 

スポンサーリンク

 

軍艦島クルーズ観光

ジャイアント・カンチレバー・クレーン

ジャイアント・カンチレバー・クレーンは長崎港を出向して一番最初に見える世界遺産です。

三菱重工業長崎造船所に1909年(明治42年)に建てられた日本初の電動クレーンで、高さ約62m・アーム部分の長さ約75mの超巨大な姿は長崎港のどこにいても存在を確認できるほどです。

驚くことに現役でタービンやプロペラの積み込み積み下ろし作業を行なっています。

ちなみに明治の物なのでエレベータはなく、一番上の操縦室まで自力で登らなくてはいけない。

世界遺産の構成資産ですが、三菱の社有地にあるため残念ながら非公開施設となっています。

 

占勝閣(せんしょうかく)

No.3 DOCK(第三船渠)を見下ろす丘の上に三菱造船所所長の邸宅として1904年に建てられた2階建ての洋館。

所長宅として使用されず船舶事業の迎賓館として船舶の命名式・祝賀会・要人接待に使われました。

船上からだと工場の向こう側に三角屋根の一部しか見えません。

世界遺産の構成資産ですが、三菱の社有地にあるため残念ながら非公開施設となっています。

 

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

hideーsan-japan(@hide_san_gram)がシェアした投稿

 

第三船渠(だいさんせんきょ)

イージス艦と海上保安庁の船に守られているかのような中央のNo.3 DOCK(第三船渠)

1905年に完成した当時、東洋最大のドッグ。

入り江の地形を利用し背後の崖を切り崩し、固い岩盤の上に石を組み全面の海を埋立てられた。

英国製の電動機で、駆動される排水ポンプは100年以上たった今でも現役で稼働しています。

 

船上からだと場所や大きさがわかりませんので鍋冠山公園展望台からの画像を載せておきます。

第三船渠は3回の拡張工事が行われ現在は、長さ276.6m・幅38.8m・深さは建設当時と同じ12.3mとなっています。

満潮時に船を引き込み、運河のように水門を閉めて排水し、船の修理や整備を今も現役で行っています。

世界遺産の構成資産ですが、三菱の社有地にあるため残念ながら非公開施設となっています。

 

BERTH NO.2

長崎港北側からNo.3・No.2・No.1とドックが3つ並び最後に見えるのがこのBERTH NO.2ドック。

一回り大きいこのドックは極秘にあの戦艦武藏が建造されたドックなのだ。

対岸の丘の上に建っているグラバー邸から建造を悟られる可能性があるとして、1939年(昭和14年)三菱が同邸を買収したエピソードが残る。

グラバー邸は1957年(昭和32年)に長崎造船所創立100周年記念として長崎市に寄贈され翌年から一般公開され世界遺産の構成資産になっています。

関連記事 「旧グラバー住宅は「実に興味深い」 グラバー園のアクセス 回り方シェア

 

小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)

BERTH NO.2ドックの対岸、進行方向左にある小菅修船場跡。

建物が小さく奥まった場所にあるので、注意して見ないと通り過ぎてしまいます。

1868年(明治元年)に完成した英国製引き揚げ機を使う西洋式ドックで、船台の形から「ソロバンドック」とも呼ばれる。

現在の水抜き方式とは異なり、海中の船台に載せそのままロープで引き揚げる。

ちなみに奥の小屋は引き上げ機を格納する小屋で船を修理する場所ではない。

世界遺産の構成資産で無料で見学できます。

小菅修船場跡

住 所 〒850-0934 長崎県長崎市小菅町5

電話番号 095-829-1314 (長崎市観光推進課)

 

女神大橋(ビーナスウイング)

2005年(平成17年)完成で、公募で決まった愛称はビーナスウイング。

長崎港の一番南端にかかっている女神大橋は、平成17年に造られ港湾施設が分断されている両岸を最短距離で結び物流の効率化を図ります。

通行料は普通車で100円・大型車で160円かかりますが、1日の通行料は8,000台を超える。

 

長崎港に大型の客船が出入りすることを考慮して、水面から非常に高い場所を人や車が通行します。

塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える斜張橋としては国内で6番目の長さを誇る全長1289m。

両側の塔の高さは170m・海面から橋桁まで65mあり、夜間はライトアップされ長崎の新しいランドマークになっています。

 

橋の両側に歩道があり歩いて渡ることもできますが、豪華客船の通過を見下ろすことができるので入港日は要チェック。

長崎港寄港実績・寄港予定はこちら

 

高鉾島

禁教時代に神ノ島の宿主の2人が宣教師をかくまっていたとして役人に捕らえられ、高鉾島に運ばれ首を切られ海に落とされた悲劇の島。

悲しい殉教の歴史を刻んでいますが、三角形に尖った形をしているため長崎港に入る船舶の目印になっています。

 

神ノ島教会とマリア像

神ノ島は船でしか行き来ができず、キリシタンが潜伏するには適した島でした。

現在は島ではなく陸続きになっており女神大橋を渡り約4kmの長崎湾の南端に位置します。

岬のマリア像は日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して1949年(昭和24)に建てられたものです。

高さ4.6mの純白のマリア像は、海を向いて手を広げ航海の安全を見守っています。

 

100万トンドック

日本最大の造船工場、三菱重工業長崎造船所の香焼(こうやぎ)工場で広さは東京ドーム26個分。

海上からではわかりにくいが、幅100m・長さが990mという桁違いの大きさのドックがあり、100万トントックと呼ばれている。

クレーンの大きさは高さ95m・幅185m、三菱マークがある四角はテニスコート1面分ある。

吊り能力は600トンのクレーン2基と1,200トンのゴライアスクレーンが1基というからもはや想像の域を超えている。

 

カトリック馬込教会

伊王島にある高い塔を持った美しいカトリック馬込教会。島民の6割がカトリック信者である。

 

 

伊王島大橋

2011年(平成23年)に完成し長崎市中心部から車で30分ほど、通行無料で伊王島へ行けるようになりました。

 

伊王島大橋 © 長崎県 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)

 

伊王島大橋を通り過ぎたところの岩礁に灯台があり、この辺りから海の色も深い青に変わってきて外洋に入っていきます。

 

高島(高島炭鉱)

端島炭鉱と同じく世界遺産の構成資産に登録されている高島炭鉱。

1868年にグラバーと佐賀藩の共同で開発され、1881年(明治14年)に福沢武諭吉の仲介で三菱創業者「岩崎彌太郎」が買い取った。

閉山は1986年(昭和61年)100年以上石炭を採掘した日本一操業期間の長い炭鉱です。

無人島の端島とは異なり、教会・郵便局もあり現在も300人ほどが生活しています。

釣りマニアには人気のスポットで、夏場は海水浴客で賑わう。

 

高島石炭資料館や岩崎彌太郎の像が設置。

軍艦島と端島のダブル上陸を行なっているツアーは高島海上交通さんだけ。

軍艦島に上陸できない時に予備的に高島に上陸しているのはシーマン商会です。

 

スポンサーリンク

軍艦島(端島炭鉱)の歩き方

長崎港を出向して約50分、高島を通り過ぎるとすぐ軍艦島が見えてきます。

軍艦島は小さな岩礁だった

西側に近づいてくると草木がある部分と、コンクリートで造成された部分がはっきりとわかります。

端島は中央部分が海上に飛び出した岩礁で6回にわたる拡張工事で現在の大きさになりました。

岩礁上部の左側は貯水槽、中央の一番高い建物は3号棟で職員住宅、一番右には祠だけが残っており端島神社の社殿も建てられていました。

上陸は西側のドルフィン桟橋から行います。

 

出典元:軍艦島パンフレット

 

軍艦島MAP

出典元:Wikipedia

 

ドルフィン桟橋

ドルフィン桟橋は高波に弱いので、少しでも波が穏やかな方、陸地に近い方の西側に作られています。

潮の満ち引きに関係なく船からタラップを下ろせるように階段状になっており接岸位置で調整します。

桟橋を降りたら短いトンネルをくぐって島内に入っていきますが、操業時は地下トンネルが30号棟の方までつながっていました。

 

第1見学広場

精選された石炭がベルトコンベアーで運ばれ岸壁の貯炭場に蓄えられ運搬船に積み込まれました。

今はその支柱が残るのみです。

 

第2見学広場

主力抗だった第二竪坑坑口へ行く桟橋が残っています。

 

第三竪坑捲座跡(資材倉庫)はここだけレンガ作りでした。

隣接する総合事務所の中には大きな共同浴場がありました。

 

第3見学広場

正面の30号棟・左の31号棟アパート

30号棟の地下には売店、31号棟の1階には郵便局・公衆電話・理美容院、地下に共同浴場がありました。

1916年(大正5年)に建てられた30号棟は中央が吹き抜けになった現在でもマンションなどで見かける構造。当時は鉄筋コンクリート造もまだ試行錯誤の段階であり、建築学上大変貴重なものだそうです。

 

軍艦島西側の採炭関連施設

レンガが残る第三竪坑捲座跡(だいさんたてこうまきざあと)とその右側の昇降階段部分が残る第二竪坑坑口桟橋跡。

その奥に日本最古の鉄筋コンクリート集合住宅30号棟が見えます。

南側施設は上陸後に見学できます。

 

軍艦島の一番上部に貯水槽はありますが岩礁なので水はありません。

飲料水は大変貴重なもので、当時は海水を溜め洗い物なとは全て海水で行なっていました。

昭和32年に6,500m離れた対岸から日本初の海底水道が完成して、海水と淸水を半分ずつ貯水するようになりました。

一番高い位置にある貯水槽の上には、第二次世界大戦の中に対空機関砲が設置されていたそうです。

 

左から順番に3号棟・2号棟・端島神社と続きます。

島内の住宅では一番高い位置にある3号棟は管理職のお偉いさんが住んでいました。

端島神社は危険と隣り合わせの鉱員とその家族にとっては心のよりどころであり、毎年行われる例祭は島民全員で盛大に行われました。

 

積み込み桟橋がある西側には貯炭場があり、ベルトコンベアーで運ばれた石炭が山積みされていました。

 

端島小中学校

島の一番北側には端島小中学校とグランドがあります。

軍艦島には1893年(明治26年)に最初の尋常小学校ができました。

現存の建物は1958年(昭和33年)に建てられた1階~4階までが小学校、5階~7階が中学校。

 

端島病院

1958年(昭和33年)建造、4階建ての隔離病棟もあった大きな病院。

小さな島なので結核や伝染病が流行しないように注意して治療が行われた。

 

軍艦島東側

軍艦島で一番大きいアパート65棟は、9~10階建のコの字形で317戸あり、島内初のエレベータの設置も検討されたが、資金難で見送られた。

端島保育園も作られ何故か屋上という今では考えられない事ではあるが、炭鉱作業員は男性で女性は専業主婦はほとんどであったのだろう。

 

東側は鉱員のアパートが立ちならんでいますが、後期に建てられたアパートは台風の影響を受けないように護岸側は窓を作らない構造です。

 

東側は外洋で高い波があたるため堤防の痛みが激しい箇所があります。

 

画像中央は倒壊して何も残っていませんが、昭和館と呼ばれた2階建ての映画館がありました。

 

横長の6階建て31号棟・その右側の7階建て30号棟。

 

肥前端島灯台

閉山によって夜間の島の明かりが無くなったため、その翌年に建てられた。

 

東側から見た全島風景はアパートが立ち並び岩礁の様子はわからず殺伐としたもの。

 

軍艦島のご案内はいかがでしたでしょうか?

ちなみに午前便でしたが西側は順光・東側は逆光に、午後便は反対になりますので写真に拘る人は参考に。

軍艦島のツアーの様子はわかってけど何処へ申し込んだ以下わからないという人は

関連記事 「2021年版 軍艦島上陸クルーズ5社徹底比較 重要なのは〇〇だった!!」を参考に長崎県から許可をもらった5社から選んでください。

 

 

 

まとめ

見どころいっぱいの充実した軍艦島ツアー、現地に行って学んだ事をまとめてみました。

  • 世界遺産は端島(軍艦島)ではなく「端島炭鉱」
  • 軍艦島ツアーの見どころは軍艦島だけじゃない
  • 長崎造船所の世界遺産「ジャイアント・カンチレバー・クレーン」「第三船渠」は見えるが「占勝閣」「旧木型場」は見えない
  • 長崎港の世界遺産は小菅修船場跡・高島炭鉱・端島炭鉱
  • 軍艦島は倒壊の恐れがあるので見学ルート以外は立入禁止
  • 上陸後は軍艦島の南側3ヶ所の見学広場で団体行動
  • 上陸の前後で軍艦島を周遊してもらえる
  • 軍艦島にはトイレ・自販機なし
  • 写真を撮るなら右舷のデッキ席がおすすめ
  • 夏は日陰がないので暑く熱中症に注意。冬は吹きさらしでとても寒い

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。この記事が気に入っていただけましたら、はなはなの励みになりますのでポチッとシェアしていただけると幸いです。

 

Multiplex 広告

SNSシェア

シェアしてもらえたら嬉しいです

-世界遺産
-

Copyright© ドライブ旅のみちしるべ , 2024 All Rights Reserved.