広島を訪れたら必ず立ち寄りたい場所として、原爆ドーム、平和記念公園、広島平和記念資料館があります。
修学旅行で行った人も多いと思いますが、行けなかった人は行きたいですよね。私もその口で、恥ずかしながらこの歳になって初めて行く事が出来ました。
行ってみて驚いたのが外国人の多い事でした。海外からも注目を集めるこの場所の公園の様子、資料館内をご案内します。
アクセス、駐車場情報、施設案内、混雑状況など現地で撮って来た写真でシェアしますので、少しでも皆さまの旅のお役に立てれば幸いです。
※観光施設ではありませんので旅行記に書くのはためらいましたが、少しでも多くの方に訪れて頂きたいという思いから記録に残しておきます。
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目次
平和記念公園について
広島県広島市中区中島町の爆心地に近い場所に原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して作られた市民公園です。
約12ヘクタールの園内には、世界遺産に登録されている原爆ドーム、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。
平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。
毎年8月6日には平和記念式典が開催され、原爆が投下された午前8時15分には黙祷が捧げられています。
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広島平和記念資料館について
原爆の惨劇を現代に伝えるべく被爆者の遺品や、被害の状況をあらわす写真や資料を展示しています。
戦後の建築物では初の重要文化財である西側の「本館」と、東側の「東館」で構成されています。
訪問者数は年間100万人台で推移しており、その内外国人は20万人います。オバマ米大統領の訪問があった2016年度の訪問者数は過去最多となったそうです。
※東館は2017年4月にリニューアルオープンしました。これに合わせて本館は改修工事に入り2018年7月にリニューアルオープン予定。
原爆ドームについて
平和記念公園のアクセスと所要時間
関西、中部方面
山陽自動車道 広島東J.C.T~広島高速2号線 府中I.Cより5.1km、19分
九州方面
山陽自動車道 五日市I.C~沼田I.C~中広I.Cより 9.3km、14分
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平和記念公園の駐車場情報と混雑状況
原爆ドーム、平和記念資料館、平和記念公園には専用駐車場がありませんので近くの市営駐車場かコインパーキングを探しましょう。
コインパーキングは川の東側(商業地)より西側(住宅街)の方が若干安い傾向があるようです。
お勧めは広島市民文化センター地下駐車場です。入口は施設の北側でトイレも借りれて30分170円と全然高くないです。
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平和記念公園の利用情報
平和記念公園
入園料 無料
休園日 無休
開園時間 常時
広島平和記念資料館
観覧料
大人(大学生以上) 200円(30人以上の場合、1人当たり160円)
高校生 100円(20人以上の場合、無料)
中学生以下 無料
開館時間
3月-7月 8:30-18:00
8月 8:30-19:00
(8月5・6日は20:00閉館)
9月-11月 8:30-18:00
12月-2月 8:30-17:00
閉館時刻の30分前までにご入館ください。
休館日
12月30日及び31日
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平和記念公園の歩き方
原爆の子の像
像のモデルは2歳の時に広島市で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんです。
原爆で亡くなった子どもたちを悼むために設置されました。
台座の下に置かれている石碑には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。
禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じて、薬の包み紙などで1300羽以上の鶴を折り続けたそうです。像の後方には折り鶴を掛ける屋根付きのボックスが設置されています。
動員学徒慰霊塔
第二次世界大戦中、労働力の不足を補うため、1944(昭和19)年8月に学徒勤労令を発し、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労奉仕が強制されました。
勤労奉仕に動員され戦禍にたおれた学徒と、原爆の犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を慰めるために建設されました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
国として、原爆死没者に対する追悼の意を表し、永遠の平和を祈念するとともに、原爆の惨禍に関する世界中の人々の理解を深め、被爆体験を後代に継承するために建設されました。
地下2階には、円筒形の形をした吹き抜けの「平和祈念・死没者追悼空間」を設けています。
地上部の中央に、原爆投下時刻の「8時15分」を示すモニュメントを設置し、その周囲には、水を求めながら亡くなった犠牲者に捧げる水と、建設工事中に敷地内から出土した被爆瓦などを配置しています。
平和の灯
台座は、手首を合わせ、 手のひらを大空にひろげた形を表現しているそうです。
核兵器が世界から無くなるまで燃やし続けようと、1964年(昭和39年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けています。
反核の象徴となっていますが、果たして消える日は来るのでしょうか?
原爆死没者慰霊碑
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
中央の石室には国内外を問わず、原爆に被爆して亡くなられた方々の名前を記した死没者名簿が収められています。
トンネル状の空間を通して「平和の灯」、遠くに「原爆ドーム」を直線上に見通すことが出来ます。
広島平和記念資料館
見学ルートは東館から入り本館から出ます。向かって右側(西館)は広島国際会議場です。
東館から本館への通路
米軍によって撮影されたきのこ雲。高度12,000mまで達したそうです。
訪れたのはリニューアル前です。現在はこれがCGになっており一瞬で焼け野原になる様子が再現されます。
市中心部の約600メートルの上空で、目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽とも言える、灼熱の大きな火の玉を作りました。当時広島には35万人がいたそうです。
投下された原爆
長さ約3m、重さ約4トン。一発の爆弾で、広島は廃虚と化しました。
原爆投下後、撮影された原爆ドーム付近の写真
炸裂1秒後に最大直径280mになった火の球の中心温度は100万度を超え、その火の球から放たれた熱線で、爆心地の地表温度は3000度~4000度に達しました。
爆風圧は爆心地から500m離れた地点でも1平方メートルあたり19トンの力で押し付けるほどで、1秒あたり最大で440mともいわれる爆風は、半径2㎞までの地域の木造家屋をことごとく押し潰しました。
当時捕虜だったアメリカ兵も12名が広島で命を落としています。その一方で原爆を投下したB-29の搭乗員13名は全員が勲章を受けています。
伸一ちゃんの三輪車
カメラを向けるのもためらう様な展示物もありましたが、これだけは伝えなければと思い撮影しました。
当時3歳だった鉄谷伸一ちゃんは、爆心地から1,500m離れた自宅の庭で、三輪車に乗って遊んでいた時に被爆しました。
原爆の熱線のためにひどい火傷を負い、その日の夜亡くなりました。
お父さんは、たった三歳の子を一人でお墓に入れても寂しがるだろうと思いました。
そこで、死んでからでも遊べるようにと、伸一ちゃんの亡骸とこの三輪車を一緒に、そのまま自宅の裏庭に埋めたのです。
40年が過ぎました。1985年(昭和60年)の夏、お父さんは伸一ちゃんの遺骨を掘り出してお墓に納めました。
そして、伸一ちゃんの遊び相手だったこの三輪車を広島平和記念資料館に寄贈したのです。
祈りの泉
西日本一の豪華な噴水と言われ、東西27m、南北19m、合計567本の噴水口が設けられ、毎分11トンの水を10mの高さまで噴き上げています。
また夜間はカラフルな照明が施されています。
本館南側の広場に作られ、その先には原爆死没者慰霊碑、平和の灯、原爆ドームと見通せる一直線上に位置します。
以上、ざっと回って滞在時間は1時間半と言った感じです。ほんとは半日くらい時間をかけたいところです。
外国人の方が熱心に見たり、涙を流している姿が印象的でした。
現地に行って気になった事をまとめてみましたので見て行って下さい。最後までお付き合いいただきありがとうございました。