群馬県南西部にある富岡市、時は1872年、元号が明治に変わって間もなく富国強兵の名のもとに富岡製糸場が建設された。
当時日本の外資獲得の源であった生糸産業の聖地であり、ここには創業当時のままの建築物の数々が保存されています。
2014年に世界遺産登録された富岡製糸場ですが、登録当時はその姿を一目見ようとものすごい人が押し寄せかなりの入場待ち時間が発生してました。
はなはなもゆっくりじっくり見たいので、空いてきたら行こうと思いつつ4年も経ってしまいました。
昨年新潟へ行く途中に時間があったので是非とも立ち寄ろうと言うことで、駐車場も含めて現地取材してきました。
同製糸場がここに造られたのには訳があり、集められた工女の生活、操業停止になっても保存されてきた理由なども紐解いてみたいと思います。
アクセス、駐車場情報、観光案内、混雑状況など撮って来た写真でシェアします。少しでも皆さまの旅のお役に立てれば幸いです。
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目次
富岡製糸場とは?
江戸時代末期に幕府は鎖国を解き、安政6年(1859)に横浜を開港し外国と貿易を始めるようになります。
その頃ヨーロッパでは蚕の病気が流行っており、生糸の需要が急激に高まるのですが、当時の日本は質の良い生糸を大量生産できず、粗悪品やにせものを輸出する商人もおり、生糸の輸出量はまたたく間に減っていきました。
そんな折、明治維新により新しい日本が生まれ、政府は日本を諸外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めました。
その資金を集める方法として一番の近道は良い生糸を続けて作れる仕組みを作ることであろうと考え、明治3年(1870)国の資本による模範器械製糸工場の設立が决定しました。
富岡製糸場は、明治5年(1872)に明治政府がヨーロッパの器械製糸のやり方を取り入れ、日本の近代化のために設立した官営工場です。
工場を建てるにあたり政府は養蚕がさかんな長野、埼玉、群馬を見て回る。
- 良い繭がたくさん取れる
- 生糸に必要な良い水がたくさんある
- 交通の便が良い
- 大きな工場を建てるための広い土地がある
- 地元の人の賛成がある
- 器械を動かす燃料(石炭)が近くで手に入る
- 建材の石材が入手しやすい
以上の事を踏まえた結果が「富岡」だったのです。
富岡製糸場は昭和62年(1987)操業を停止した後、平成17年(2005)7月に敷地が国の史跡に、そして翌年平成18年(2006)7月には創業当初期の建造物が国の重要文化財に指定されました。
平成26年(2014)6月には「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、世界遺産に認定されました。
重要文化財のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟は平成26年(2014)12月に国宝となりました。
1876年から「富岡製糸所」、1909年から「原富岡製糸所」、1938年から「株式会社富岡製糸所」、1939年から「片倉富岡製糸所」、1946年から「片倉工業株式会社富岡工場」と、時期によって名称が変更されています。
史跡、重要文化財としての名称は「旧富岡製糸場」で、現在は富岡市が所有・管理を行っています。
140年経った現在もほぼ変わらぬ姿
1939年から2005年まで片倉工業株式会社(東証一部上場3001)は、富岡製糸場の民間最後のオーナーを務た企業です。
2005年に富岡工場(現富岡製糸場)建物等を富岡市に寄付するまでの間の片倉工業の貢献は非常に高く評価されています。
くしくも片倉工業は富岡製糸場が創業した翌年の明治6年に富岡で製糸業で産声を上げた会社であり、同製糸場の近代的な設備へのあこがれもあったそうです。
片倉工業は1987年に富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後もこれまでの歴史や、情熱を紡いでいきたいという思いから、建物や機械のひとつひとつを、18年間、手をかけて守り続けてきました。
一般向けの公開をせず、「売らない、貸さない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念したそうです。
一説には、富岡製糸場は広大な敷地と建物の固定資産税だけで年間2000万円、修復するにも当時の工法にこだわり、その他の維持・管理費用も含めると1億円以上かかった年もあると言われています。
こうした片倉工業のの取り組みがあり、富岡製糸場が良好な保存状態で保たれてきたのです。
富岡製糸場のアクセスと所要時間
関東方面
関越自動車道経由
練馬IC ⇒ 関越自動車道 ⇒ 藤岡JCT ⇒ 上信越自動車道 ⇒ 富岡IC
所要時間:約1時間13分 103km
北関東方面
東北自動車道・北関東自動車道経由
栃木都賀JCT ⇒ 東北自動車道 ⇒ 岩船JCT ⇒ 北関東自動車道 ⇒ 高崎JCT ⇒ 関越自動車道 ⇒ 藤岡JCT ⇒ 上信越自動車道 ⇒ 富岡IC
所要時間:約1時間12分 97.4km
名古屋・関西方面
中央自動車道経由
岡谷JCT ⇒ 岡谷IC ⇒ 国道20・142 ⇒ 佐久中佐都IC ⇒ 中部横断自動車道(無料区間) ⇒ 佐久小諸JCT ⇒ 上信越自動車道 ⇒ 富岡IC
所要時間:約1時間59分 121km
北陸方面
北陸自動車道・上信越自動車道経由
上越JCT ⇒ 上信越自動車道 ⇒ 富岡IC
所要時間:約2時間18分 188km
新潟方面
北陸自動車道・上越自動車道経由
長岡JCT ⇒ 関越自動車道 ⇒ 藤岡JCT ⇒ 上信越自動車道 ⇒ 富岡IC
所要時間:約2時間20分 191km
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富岡製糸場の駐車場情報と混雑状況
富岡製糸場内には専用の駐車場は有りません。
富岡製糸場の駐車場は結構ありますので、事前に目星を付けて安いとこから攻めていきましょう。
市営の無料駐車場もありますが徒歩20分と離れていますので時間があって歩ける人ならいいでしょう。
市営の以下の駐車場はバス専用なので注意して下さい。
- 上町駐車場(観光バスのみ)
- 富岡製糸場 仲町駐車場(予約バス専用)
※情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず現地の表記をご確認ください。
①パークステーション 富岡第1
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1008−1
94 002 258*27
利用時間
24時間
駐車料金
08:00~18:00 30分/100円
18:00~08:00 60分/100円
入庫後24時間 最大200円
駐車台数
12台
②倉持代行社
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡104−3
94 002 163*34
電話
0274-63-6051
利用時間
お問い合わせ下さい
0274-63-6051
駐車料金
3時間500円
駐車台数
約20台
③いなりパーク
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1029
94 002 220*68
利用時間
24時間
駐車料金
20分100円
駐車台数
約40台
※駐車場の反対側に仲町まちなか交流館(お土産屋さん)があります。
富岡製糸場の入場券は、仲町まちなか交流館で事前購入できます。混雑が予想される時は買っておくとスムーズに入場できます。
④市営 宮本町駐車場
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1406−4
94 002 373*80
電話
0274-62-5439
利用時間
24時間
駐車料金
最初の30分無料 以降30分100円
※夜間は上限500円
(午後5時30分~翌日午前8時)
※バイク無料(専用駐車スペース有り)
駐車台数
80台
※敷地内に宮本町まちなか交流館(お土産屋さん)があります。
※トイレ有り・富岡製糸場まで徒歩約10分 400m
⑤信州屋駐車場
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡51−4
94 002 243*32
利用時間
8:00~18:00
駐車料金
最初の60分500円 以降20分100円
駐車台数
約20台
※上州名物「和風絹しゅうまい」のお店です
※徒歩1分で一番近い駐車場です。話のネタに食しておけばよかったと後悔。
富岡製糸場の入場券は、「信州屋」さんで事前購入できます。目の前の入場券売り場が混雑している時は買っておくとスムーズに入場できます。
⑥富岡第1駐車場
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1457−2
94 002 608*61
利用時間
24時間
駐車料金
8:00~19:00
月~土(祝日除く) 60分100円
日・祝 30分100円
駐車後24時間最大500円
19:00~08:00
60分100円・最大300円
駐車台数
5台
⑦市営 富岡駅東駐車場
住所
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1594
94 002 886*87
電話
0274-62-5439
利用時間
24時間
駐車料金
無料
駐車台数
300台
※富岡製糸場周辺で無料駐車場はここだけです。
※トイレ有り・富岡製糸場まで徒歩約15~20分 950m
※土日祝などは富岡製糸場付近で駐車場誘導員が手を振ってますが、有料駐車場に案内されます。市営 富岡駅東駐車場に駐車したい方はナビ設定してここを目指して下さい。
富岡製糸場の観光情報
住所
〒370-2316
群馬県富岡市富岡1−1
正面入口
94 002 271*06
電話
0274-64-0005
見学時間
【 開場時間 】
09時00分~17時00分(最終入場 16時30分)
【 休場日 】
年末(12月29日~31日)
ブリュナエンジン運転時間
毎週土日及び祝日
運転時間:10時30分~14時30分
見学料
個人料金 | ||
---|---|---|
大人 | 1,000円 | |
高校・大学生(要学生証) | 250円 | |
小・中学生 | 150円 | |
*未就学児は無料です。 *障害者手帳をお持ちの方と介護者(1名)は無料です。 *高校・大学生は学生証を提示してください。 *富岡市民は入場無料です。 住所が確認できるもの(運転免許証など)を提示してください。 |
オプション料金
大人 | 中学生以下 | |
ガイドツアー 参加(解説員による解説) | 200円 | 100円 |
音声ガイド機 貸出 | 200円 |
・ガイドツアーは、解説員がおよそ40分ほどかけて場内をご案内いたします。
・音声ガイド機はご自分のペースで解説を聞きながら場内を見学することができます。
富岡製糸場外での見学券購入方法
下記施設でも見学券をご購入いただけますので、富岡製糸場入り口の券売所が混雑しているときなど、待ち時間を短縮できます。
上信電鉄の高崎駅から上州富岡駅間の往復割引乗車券とセットになった見学券についてはこちら
◆上信電鉄株式会社「富岡製糸場見学往復割引乗車券」
見学所要時間
1時間~1時間30分程度
見学の注意事項
- 場内は禁煙です。
- 場内の食事は禁止、飲物は建物の外でしか飲めません。
- 場内はペットの入場禁止。(盲導犬・聴導犬は除く)
- 建造物・機械等には手を触れないでください。
- 場内の撮影について、個人の記念・鑑賞としてのスナップ撮影やSNS・ブログへの掲載は申請不要です。ただし、商業目的として個人の趣味の範囲を超えるのもは撮影許可申請が必要。
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富岡製糸場の歩き方
富岡製糸場正面入口
正面入口前の道路は狭いですが、一方通行で車が通りますので気をつけて下さい。
木のプレートには「旧富岡製糸場」と掘られています。旧ってなに?と思われるかも知れませんが、史跡の登録名称なのです。
検査人館
重要文化財 検査人館(けんさにんかん)
明治6年(1873)建築
外観見学のみ
現在はチケット販売所になっていますが、生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設されました。
内部は貴族や政府の役人が訪れた際に使用された「貴賓室」があり当時のまま残されています。
国宝 東置繭所
東置繭所(ひがしおきまゆじょ)
明治5年(1872)建築
長さ:104.4m 幅:12.3m 高さ:14.8m
1Fは事務所・作業場、2Fは乾燥させた繭を貯蔵しました。
中央通路から左右に展示室があります。回遊方式なのでどちらからでも戻ってきます。
レンガの積み方は長いレンガと短いレンガを交互に積み重ねた「フランス積み」
アーチ型の入り口の上には明治五年の「キーストーン」
1F部分右側は富岡製糸場の過去から現在に至るまでの説明がされています。
初めにここに来て説明パネルを読んだり展示を見たりすると、知識が深まりこの後の見学の興味、理解度がまったく変わってきます。
模型を見ると改めて建物の大きさがわかります。
創業時の手動で巻き取っていた時代
モニターの短編動画が勉強になります。
1F部分左側は繭から糸の取り出し方の実演が行われていました。創業当時の富岡工女が行っていた作業です。
クモの糸のように細くて切れないのが不思議ですが、熱湯または弱アルカリ液で処理し、接着を緩めて糸を引き出しきれいに巻き取られていました。
生糸
繭玉から引き出した何本かをより合わせて1本の糸にしたもの。
絹糸・絹(シルク)
繭玉を原料として作られた繊維の総称。
世界の富岡シルクの製品がずらり。
建物の北側から外に出て、外階段から2Fに上ります。
これまで非公開だった富岡製糸場東置繭所2階内部が期間限定で公開されています。
乾燥繭置を貯蔵していた場所です。
突き当りまでは行けなくなっていますので端から端まで見渡すことはできませんが、長さ104mの大空間というのはわかります。
外見からもわかりますが、繭にカビが生えないような工夫がされ、湿気が貯まらない窓だらけの建物になっています。
国宝 西置繭所
西置繭所(にしおきまゆじょ)
明治5年(1872)建築
長さ:104.4m 幅:12.3m 高さ:14.8m (東置繭所とまったく同じ大きさて造られています)
2Fは繭の貯蔵庫、1Fは蒸気機関の燃料用の石炭を置く場所や繭をより分ける場所としても使われました。
西置繭所は現在保存修復期間中で一部公開と工事の様子が見学出来ます。
2019年3月31日までの期間限定で入場は別料金、大人200円、小人100円です。
09時00分~16時30分(最終受付は16時00分まで)
※混雑が予想されるため時間及び人数を制限して公開しています。
ブリュナエンジン(復元機)
ブリュナエンジン
全長:約4m 幅:約2.5m 高さ:約2m。
ブリュナエンジンは明治5年(1872)の創業当時に導入された蒸気機関で、約50年間にわたり操糸機の動力源として使われた。
製糸場の建設を指導したフランス人技術者、ポール・ブリュナが導入(フランスから輸入)したことが名前の由来といわれる。
このエンジンは世界遺産登録に向けて復元されたレプリカであり、本物は製糸場が電化された後、愛知県犬山市の博物館明治村に寄贈され、現在も展示しています。
復元には難題山積
- 設計図が残っていない
- 実物が遠方(愛知県犬山市「明治村」)
- 貴重な産業遺産として展示されているため、分解が不可能
- 光学測定器による外観・内部のデータ取り
- 内部の光学測定が不可能であった(油等で光る部分や陰になり見えない)部分の構造・材質の推定
- 2次元・3次元CADによる部品図・設計図の検証
- 1/5サイズのレプリカエンジンを製作し、エアー及び蒸気を使った作動検証
- 部品数はシリンダー、ピストンなど約200種類にのぼり、制作費は2,000万円以上
完成まで24年9月から27年12月の3年3ヶ月を要した。
まさに某局TV番組、中島みゆきさんの「地上の星」が聞こえて来そうです。
高さ36mの煙突
現在の煙突は昭和14年に建設された鉄筋コンクリート製、創業当時も石炭燃焼で発生する黒煙対策で高い煙突が建てられていました。
東置繭所の西側
富岡工女
富岡製糸場を支えた「富岡工女」の記念撮影スポットが東置繭所の西側にあります。
工女と聞くと貧しい家庭環境で過酷な労働環境と思いがちですが、それは「あゝ野麦峠」とオーバーラップしています。
官営で指導者を育てる意味合いもあった富岡製糸場と地方の民間製糸工場では立場が異なります。
地方では今で言うブラック企業もあったようです。
富岡工女はお嬢様だった
ここ富岡に集められた工女は各地の士族の娘や親類等で、今で言うと裕福な家庭の娘さんでありました。
それは、ここで学んだ技術を出身地に持ち帰り、製糸工場での指導者となることが期待されていましたので、女工とはいえそれなりの教養が必要だったわけです。
官営で準公務員のような待遇、寮費・食費・作業着代・医療費も会社負担でしかも高給と超ホワイト企業です。
起床は7:00、就業は8:00~17:00、お昼に1時間、15時に15分の休憩があり、日曜日は休みでした。
※能力の高い工女は教員・警察官の倍の給料を貰っていた人もいたそうです。
敷地内は広いのでどこから見ていいか解らないですが、どこから見ても行ったり来たりしますので気にしないで大丈夫です。
国宝 繰糸所
繰糸所(そうしじょ)
明治5年(1872)建築
長さ:104.4m 幅:12.3m 高さ:12.1m
繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。創業当初はフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の製糸工場でした。
小屋根組には「トラス構造」という従来の日本にない建築工法を用いています。そのため、建物内部には中央に柱のない広い空間が保たれています。
さらに採光のための多くのガラス窓や、屋根の上に蒸気抜きの越屋根が付いています。
建物の両側は壁のかわりにガラス窓が高い位置から設置されており、中はとても明るく照明が点いているかのようです。
※ここが建設されたのはエジソンが電球を発明する1879年より7年も前、明り取りの窓が多いのも納得です。
現在は昭和41年以降に設置されたニッサン製自動繰糸器が保存されています。
首長館(ブリュナ館)
重要文化財 首長館(ブリュナ館)
明治6年(1873)建築
延床面積:320坪
外観見学のみ
指導者として雇われたフランス人「ポール・ブリュナ」が政府との契約満了となる明治8年(1875)まで家族と暮らしていた住居。
高床で建物の四方に回廊風のベランダを持つ木骨れんが造り。
ポール・ブリュナとは?
フランス人で横浜の商館で生糸の検査人をしていましたが、蚕糸業に関する知識を見込まれ、明治政府に5年契約で雇われました。
富岡製糸場の設立に携わり候補地の視察選定から 計画、建設、操業、雇用の全て関わります。
当時公務員の年収が100円だった頃、破格の待遇で月給600円に加えて賄金が毎年1,800円、合計9,000円の年俸が支払われており、大久保利通や伊藤博文が契約解除を進言した逸話が残っています。
フランス人といえば何処かの自動車会社のCEOを退任させられた人とおもいっきりかぶりますが、ブリュナは5年の契機満了で帰国しています。
ブリュナ館西側
ブリュナの帰国後は寄宿舎、学校、娯楽の場などに利用されたため、内部は大きくリフォームされています。しかし、建設当時作られた地下室は残っているそうです。
女工館
重要文化財 女工館(じょこうかん)
明治6年(1873)建築
外観見学のみ
日本人工女に、器械による糸取りの技術を教えるために雇われた4名のフランス人女性教師の住居として建設されました。
非常に凝った造りで、ベランダの天井が格子になっています。
画像提供 富岡市
なかなか集まらなかった工女
生糸の生産には女性のしなやかな指先の技術が必要でしたので明治政府は全国から工女を募集しました。
しかし、赤ワインを飲むフランス人に対して、西洋人は人の生き血をすすって飲むと言う噂が流れていたため、工女はなかなか集まりませんでした。
初代工場長となった尾高惇忠は、自分の娘を最初の工女とし、そうした努力を重ねた結果ようやく全国から工女が集まりはじめました。
ここで1年から3年間過ごし技術を習得した工女たちは、地元に戻り製糸工場で技術指導に貢献したそうです。
診療所
診療所
外観見学のみ
繭を選び分ける繭えり場で作業していた人は蚕の匂いがきつく気分が悪くなることもあったそうです。
何千人と従事する大工場でありますので入院施設もありました。
寄宿舎
寄宿舎
昭和15年(1940)建設
外観見学のみ
長さ:55m 幅:7.3m
創業当初から数えて三代目にあたる工女奇宿舎で木造2階建ての建物が2棟並んでいます。
北側に廊下があり、1部屋15畳で1棟16室、合計32室ありました。
南側(左)が妙義寮、北側(右)が浅間寮
※建物外側に付いているのは非常階段ではなくなんと滑り台だそうです。
榛名寮(はるなりょう)
外観見学のみ
明治29年(1896)にブリュナ館西側に建設された木造2階建て。
こちらは各部屋20畳以上の大部屋
富岡製糸場のおすすめの歩き方
西置繭所と寄宿舎は通り抜けできません。ですので、東置繭所を起点に西置繭所方面と寄宿舎方面の見学をします。
ブリュナエンジンの実演が行われていますので、時間をチェック(運転時間:土日祝10時30分~14時30分)
西置繭所は2019年3月まで保存修復作業の見学ができ、これまで非公開となっていた鉄水溜を見学することができます。
東置繭所の1Fは展示物が多く富岡製糸場の知識が増すので以降の見学が楽しくなる。2Fは期間限定で公開されている。
以上のことをふまえると、西置繭所方面は限定公開が多く混雑気味、寄宿舎方面はゆっくり見学できる。
はなはなオススメの見学コースは東置繭所1F・2F(2Fは西置繭所の後でもOK) ⇒ 西置繭所方面 ⇒ 寄宿舎方面。
※敷地面積16,255坪と広大ですので最低でも1時間~1時間半は見ておきましょう。
まちなか周遊観光バス
子供が喜びそうな面白い外観のバスが走っています。8輪車の電動バスで「まちなか周遊観光バス」
市営富岡駅東駐車場や上州富岡駅前と富岡製糸場を往復しているので、満員の札が表示されていなければ何処からでも乗車出来る。
※停留所以外での乗り降りも可能です。運転手にお声かけください。
運行時間
9時00分から16時00分まで
1便:富岡駅東駐車場 9時00分発車 以降約40分ごとに1便(1日10便を予定)
所要時間:約40分(まちなか1周)
料金
ガイド料として100円(小学生未満は無料)のご協力をお願いします。
お支払いの際に【1日フリーガイド券】をお渡しします。フリーガイド券のご提示で、当日限り何度でも乗り降り自由です。
乗車定員
10人(運転手等含む)
※40分で一周なので待ってまで乗るのもどうかと思うし、9人しか乗れない事を考えれば、駅から歩くのが大変なお年寄り専用かな?
まとめ
2019年最初の記事ということで世界遺産をチョイスしてみました。
なかなか良かったのでみなさんにおすすめしたいのですが、世界遺産という名前だけで行くとこんなものか?で終わってしまうと思います。
少しでも予備知識を持ってから行くとまた見方が違ってくると思い、記事にしてみましたがいかがでしたでしょうか?
また歴史に興味の無い方はガイドツアー200円をおすすめします。解説員の話に引き込まれ納得の連続です。
現地に行って気になった事をまとめてみました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
- 市営 富岡駅東駐車場は無料だが徒歩15分かかる
- ガイドツアーは約40分かけて場内を案内してくれる
- 自由に歩きまわり、写真を撮りたい方は音声ガイド機がおすすめ
- 期間限定で公開されている場所は必ず見よう
- ポール・ブリュナは超特別待遇の高給
- 富岡製糸場は官営の指導者養成所
- 全国から集まった工女は、裕福なお嬢様だった
- 創業停止後も施設が残ったのは片倉工業が私財を提供したから
- 全てを富岡市に寄贈した片岡工業はすばらしい企業