岡崎城は家康生誕の地 見どころいっぱいの城内レポ 桜まつりは駐車場に注意

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徳川家康生誕の地である岡崎城は、日本100名城にも選ばれている愛知県でも屈指の観光地です。

城跡を中心に東京ドーム2個分の敷地が岡崎公園として整備され、春は約800本の桜が咲き誇り日本さくら名所100選にも選ばれています。

家康ゆかりの城だけあってその他にも見どころが多く、公園内は24時間開放で夜桜やライトアップ(桜まつり期間中)を楽しむこともできます。

この記事では、やっぱり行くなら桜の季節でしょ!ということで、1年を通して一番混雑する桜の季節に行ってきた現地レポです。

予想どおり駐車場が大変な事になっており、その辺りの調査もぬかりなく行ってきましたので参考にしてみて下さい。

例によってアクセス、駐車場情報、観光案内、混雑状況など撮って来た写真でシェアします。皆さまの旅に少しでもお役に立てれば幸いです。

 

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竹千代から徳川家康になるまで

岡崎城を語る上で欠かせないのがここで生まれた家康の存在です。

岡崎城の歴史を語ってもあまり面白くないので、竹千代から徳川家康に名前をを変えた変革をまとめてみました。

岡崎城の礎は室町時代の1452年(享徳元年)~1455年(康正元年)三河国守護代西郷氏が竜頭山の砦として築いたのが始まり。

竜頭山は南の菅生川と西の矢作川に挟まれた丘陵地で主に北方防御の意味合いがあったとされます。

1531年(享禄4年)争いで城主が入れ変わる中、松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり城郭の整備を始めます。

1542年(天文11年)城内で竹千代が生まれます。

当時の岡崎城は天守や石垣はなく堀を掘った土で作った土塁があるのみでした。

竹千代は6歳で尾張の織田信秀、8歳で駿河の今川義元の人質となり幼少期を過ごします。

今川氏の人質になっていた竹千代は、14歳になり今川義元から元服することを許され、「元」の字を今川義元からもらい松平元信と名前を変えました。

1557年(弘治年)元信は、義元の勧めで妻を迎え、元信は尊敬する祖父の清康の「康」をもらい、「元康」と名前をかえました。

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、今川家に見切りをつけ岡崎城を取り戻します。

1562年(永禄5年)信長と同盟(清洲同盟)を結び、「元」の字を捨て尊敬する源義家の「家」をとって「松平家康」と改めます。

1566年(永禄9年)念願の三河國を統一を果たし大名になった家康ですが、氏素性のはっきりしない者には国主とは認めないと朝廷から断られます。

困った家康は、祖先は「徳川」で「藤原氏」の流れを持つ家系図を出し、徳川を名乗るのは一代のみという事で、朝廷から従五位下三河守に叙任されたのです。

徳川を名乗ったのは若干24歳であったというのも驚きですが、小さい頃からの環境で生き残る術を自然に身につけていたというか、やはり天下を取る者は身の振り方一つとっても何かが違うんでしょうね。

竹千代 ⇒ 元信 ⇒ 元康 ⇒ 松平家康 ⇒ 徳川家康と4回改名した苦労人故の策略家であったのかも知れません。

1570年(元亀元年)徳川家康は本拠を浜松城に移し、岡崎城は嫡男の松平信康が入っています。

1590年(天正18年)徳川家康の関東移封後、城主となった田中吉政が城下町の造成を行い、岡崎城天守の原型をつくった。

岡崎城には家康公が誕生したとき産湯に使ったという「家康産湯の井戸」や、へその緒・胎盤を埋めたとされる「家康公のえな塚」など家康公の息吹が感じられる場所があります。

 

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岡崎城のアクセス

関東方面より

東名高速道路
岡崎ICより
所要時間・距離 約8分・4.2km

御殿場JCTより

東名高速道路 ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約2時間21分・209km

新東名高速道路
御殿場JCTより

新東名高速道路 ⇒ 浜松いなさJCT ⇒ 三ヶ日JCT ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約2時間18分・207km

 

グーグルマップで見ても新東名を使った方が距離も少なく所要時間も短い事がわかりました。

新東名は新静岡ICから森掛川ICまでの50kmの区間が最高速度120km/hとなっているので、実際にはもう少し時間短縮ができると思います。

新東名はカーブがなだらかで勾配もゆるかやに設計されており、走りやすい道ですので降りるインターチェンジが遠回りにならなければぜひ使いたい高速道路です。

※新東名高速道路の岡崎東ICからは一般道の国道一号線が慢性的に混雑しているのでおすすめしません。

 

関西方面より

名神高速道路
草津JCTより

新名神高速道路 ⇒ 伊勢湾岸自動車道 ⇒ 豊田JCT ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約1時間35分・140km

 

大阪・京都方面からは新名神・伊勢湾岸ルートが直線的に行けるので距離も時間も短いです。

日帰りドライブなら名古屋観光をする時間は無いので、混雑する名古屋市内は避けましょう。

 

北陸・信越方面より

北陸自動車道
米原JCTより

名神高速道路 ⇒ 東名高速道路 ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約1時間23分・116km

 

東海北陸自動車道
美濃関JCTより

東海環状自動車道 ⇒ 豊田JCT ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約1時間10分・95.3km

 

中央自動車道
土岐JCTより

東海環状自動車道 ⇒ 豊田JCT ⇒ 岡崎IC
所要時間・距離 約50分・61.4km

 

東海環状自動車道は東名・名神に比べると交通量も少なく走りやすい道です。

混雑する名古屋市内は避けるルートで行くのがベストです。

 

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岡崎城の駐車場情報

岡崎城のある岡崎公園は桜まつり・藤まつり・花火大会・秋まつりと1年を通してイベントが多い場所です。

桜まつりは60万人、花火大会は45万人の人出があり、ふらっと訪れたらすごい車で駐車場がまったく空いてなかった、駐車場待ちで観光時間がなくなってしまったなんて事もあるかもしれません。

まつり期間中はは臨時駐車場が設けられ多くの観光客にも対応していますので、コツさえ押さえれば岡崎城と桜や岡崎城と花火を楽しむ事もできます。

はなはながおすすめ駐車場と臨時駐車場をまとめて記事にしてみましたので、「岡崎城 岡崎公園の駐車場おすすめ26選 最大料金比較で無料安いを現地調査」を参考にしてみて下さい。

 

 

※情報(駐車時間・料金)が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず現地の表記をご確認ください。

 

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岡崎城の観光情報

マップコード

住所
〒444-0052
愛知県岡崎市康生町561-1


0564-22-2122 <岡崎城>
0564-24-2204 <三河武士のやかた家康館>

営業時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)

定休日
年末(12月29日~12月31日)

入館料金

区分
大人
(中学生以上)
小人
(5才以上)
三河武士のやかた家康館 一般
360円
200円
団体
30人以上100人未満
280円
160円
100人以上
230円
130円
岡崎城 一般
200円
100円
団体
30人以上100人未満
160円
80円
100人以上
130円
60円
岡崎城・家康館
2館共通券
一般
510円
270円
団体
30人以上100人未満
410円
220円
100人以上
320円
170円

※2館共通券が別々に買うより大人50円~小人30円引きなので共通券がおすすめ。

※共通券は岡崎城と家康館の両方で購入できるので、公園に入って混雑しているな~と思ったら家康館で購入したほうが並ばずに済みます。

混雑状況
桜まつり・ゴールデンウイーク・お盆などの繁忙期以外は土日祝でも待ち時間なしで見学できます。

所要時間
岡崎城・家康館で1時間程度

その他

  • 家康館はバリアフリー対応
  • JAFカード割り引きあり
  • 岡崎城内での写真撮影はご遠慮ください。(1F・5F展望室のみ可)
  • 家康館内での写真撮影はご遠慮ください。(体験コーナーは可)

 

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岡崎城の歩き方

大手門

城跡の岡崎公園の入口として1999年に建てられました。

 

復元された場所は本来の位置ではありませんが、御影石と本瓦を使いスケールの大きなものになっています。

 

大手門から伸びる城壁も見ごたえがあります。

 

岡崎城 天守

岡崎城の天守が作られたのは以外にも関ケ原の合戦以降、1617年(元和3年)に本多康紀が3重4階(地上3階、地下1階)の天守を築きます。

この天守は1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となり、1874年(明治7年)に解体されました。

現在の復興天守は1959年(昭和34年)に完成した鉄筋コンクリート3層5階建て、高さ28メートル。

 

内部は歴史資料館になっており2階~4階は撮影禁止なので、一通り見ながら階段をさくさく登っていきます。

写真を撮れない代わりに展望テラスに時間を使いたいところ。

 

天守隣接の龍城神社参拝者の行列が途切れる事なく続いており、「出世開運」「祈願成就」の御利益を授かりたいのは誰しも同じ。

 

最上階の展望フロアからは三河の街並みが一望できます。

ぐる~っと一周して南側の橋が掛かっている道は「竹千代通り」と名前が付いてます。

 

天守台石垣

説明書きによると。

岡崎城内で最も古い段階の石垣で、石材は形や大きさが不揃いな自然石が使用され、隅角部の算木積みは未発達な段階です。

天守は天正18年(1590)に城主となった田中吉政により初めて築かれ、その後、元和3年(1617)に城主の本多康紀によって再建されましたが、石垣はそのまま利用されたと考えられます

 

出世開運 龍の井

岡崎城は別名「龍ヶ城」とも呼ばれ、家康公が生まれた時に金の龍が昇天したと伝わる。

吉兆の度にこの井戸が噴出し、龍神に注ぐ不可思議にこれを祈り出世開運の井と称えられている。

 

東照公の遺訓

石碑の文字は読みにくいので書き記すとこうです。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。

意味は書かなくても現代文なので読めば伝わると思いますが、なぜ亀の上に乗っているか不明です。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」に表されるように、忍耐強いゆっくりの歩み、亀の歩幅という意味でしょうか?

 

家康公遺言

遺訓碑とならんで天守前に置かれている遺言碑

わが命旦夕に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し

されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に変らるべし

天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより

家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし

元和2年4月17日

日付は命日(1616年)75歳で天命を全うしました。

戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開き太平の世を作ったのか?

大河ドラマの麒麟は家康だったのでしょうか?

残された遺訓や遺言で家康の優しさや人となりが感じられますね。

 

龍城神社(たつきじんじゃ)

龍城とは岡崎城の別名で、家康誕生の日に現れた金の龍が昇天したという伝説によるもの。

岡崎城内最大のパワースポットの呼び声高く、家康公にあやかって出世開運・諸願成就の御利益があると観光客も立ち寄っていきます。

岡崎城天守に隣接しているので、参拝しやすい事もあり拝殿前は行列になっていることもしばしば。

また御朱印目当ての人も多く、三つ葉葵の家紋の入った御朱印帳も人気なのです。

 

家康公産湯の井戸

天文11年12月26日(1542年)徳川家康公が岡崎城内で誕生した。この井戸の水を汲み、産湯に使用した。

出生の場所が不明な武将も多いのですが、城内にこういうものが残っているところは、はさすが三河松平家のお坊ちゃまと言わざるをえません。

 

えな(胞衣)塚

この城で生まれた徳川家康のえな(胞衣)を埋めた塚で、もと本丸南にあったものを、ここに移して記念とした。

「えな」とはへその緒とか胎盤の事で竹千代通りの脇にそっと置かれているが、いつ頃作られたのものなのか気になる所ではある。

 

本丸埋門北袖石垣

築石に大きい石材をを使っており、高さも10メートルを超す見ごたえのある石垣です。

 

龍城堀

現在の岡崎城で唯一の水堀の龍城堀。

赤い神橋の東西に広がる堀には、鯉・亀などが生息しているようです。

お堀を囲むように散策路になっており、木々に囲まれた水辺は公園内でも憩いの場です。

南側は竹千代通りと呼ばれ、普段から近隣の人々の散歩コースにもなっています。

 

青海堀

本丸の北側にある堀で、天守防衛のために城内で最も深い堀となっています。

築城者西郷頼嗣(清海入道)の名から清海堀と呼ばれています。

 

廊下橋

青海堀の上にかかる橋。

 

大正9年に(1920)に現在のアーチ型石橋に改修されましたが、江戸時代は屋根付きだったそうです。

 

二の丸能楽堂

普段は入口の門が閉じられており中を見ることはできませんが、二の丸の高台から立派な屋敷全体や屋根構えを見ることが出る。

 

この日は桜まつりのイベントで無料で拝観できました。

入口の門が空いてたら中に入ってみましょう。

能に興味のない人でも雰囲気だけでも感じることができると思います。

 

三河武士のやかた家康館

家康の生涯から関ケ原の合戦などを展示。

外観は1階建てですが、地下構造になっており展示は2階分あって見ごたえはあります。

展示物は岡崎城内よりこちらがメインなのでぜひ立ち寄りましょう。

 

館内は写真撮影禁止とのことですが、体験コーナーはOKです。

 

岡崎城の電話ボックス

電話ボックス自体も最近見かけなくなったので、入ったことのない人もいるかも知れませんが、中は普通の電話ボックスです。

大手門の近くにあるので気になった方はどうぞ。

 

東隅櫓

東隅櫓は岡崎城を守る上で最も重要な東側の砦で、南側から城壁を見ると東隅櫓の重要性がわかるでしょう。

大手門前の駐車場の端にあるので気づかずに帰ってしまう人もいると思います。

明治になってから取り壊されたものが、2010年(平成22年)3月に再建されました。

 

三つ葉葵

徳川家の家紋「三つ葉葵」の由来には、三河武士の本多家・酒井家に由来する説や松平家の元々の家紋であるとする説があります。

葵紋は家康が徳川を名乗る前の松平時代から使っていたわけですが、征夷大将軍になってからは、使用を控えるという暗黙のルールがありました。

家康の死後は、徳川家の威厳を保つため、徳川家以外の三つ葉葵の使用は厳しく制限されていたそうです。

3代将軍「徳川家光」でおなじみ水戸黄門で知られる名ゼリフ「この紋所が目に入らぬか~!」と誰もがひれ伏したわけです。

8代将軍徳川吉宗の時代には徳川将軍家以外が「丸に三つ葉葵」を使用するのは全面的に禁止され、朝廷の桐紋や菊の御紋と同様の威厳を持つことになります。

 

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まとめ

見どころたっぷりの岡崎城のご案内はいかがでしたでしょうか?

家康に関してはあまりにも偉大な人物であるが故のアンチもいるかと思いますが、歴史好きなら一度は訪れて見たい場所ではあります。

現地に行って気になった事をまとめてみました。

  • 年中を通して様々なイベントがあるので、行くときは下調べをして混雑する日は避けよう
  • 桜まつり・花火大会に行くなら駐車場の調査は念入りに
  • 入館料は岡崎城と家康館のセット券がおすすめ
  • 2館の滞在時間は最低1時間を見ておこう
  • 本丸隣接の龍城神社はお参りしておくと御利益があるかも
  • 岡崎城ならではの産湯井戸・えな塚は見ておこう

 

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。この記事が気に入っていただけましたら、はなはなの励みになりますので、ポチッとシェアしていただけると幸いです。

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